劇場には芸術監督置いているところがあって、芸術監督ってなんだろう。
20代の頃はそういうものに憧れもあったけど、それはやっぱりピナバウシュの影響があってその街に根付いて作品を発表したりその劇場を通して新しいアーティストを紹介したり発掘したり、そこにはジャンル関係なくいろんな人が行き来して、バーもあって、クラブもあってライブハウスもあって自由な演劇もできて。若い子のアート作品も飾ってあるみたいなことを妄想していた。
ダンスにおいて今いるそういう役職についている人は自分から進んで若者のダンスを見に行くことも、知らないダンスに出会うことも無いような気がする。劇場で見たことないし。てしがわらさんとか。俺の事タップダンサーだと思ってたしな。俺は10回は観に行ってるけど。
それが偉いとかじゃなくてシンプルに興味を持ってもらえたら嬉しいのになって思ったその時。先輩にも見てほしいから。
審査員にしてもそうで。ダンコレにしてもトヨタにしてもストリートダンスを語れない人が多い。もちろんそのシーンの中に身を投じて、もしくは興味があってしっかりとした知識があるジャンルもわかるような人だったら全く問題ないけど、その上でその人がどういう人間かって言う事は審査員である時点で大事なんだけどそういう人は皆無だと思う。だから分からない人が審査に入っている時点で本来は賞をとるメリットみたいなものしかなくて、演者にとってもリスペクトはないだろう。もちろんその審査員が各スペシャリストである必要があるんだけど、そうなればそのスペシャリストを沢山揃える必要がある。
ナンバーコンテストみたいなものにしても、高い金をとっている時点で全くもって好きじゃないけど本質的に技術を理解できないのであればその先に商業を目指している人にとってはいいかもしれない。
ただ自分はやっぱり自分のことを技術や時代を通して多角的に見てくれる人に審査してほしいし、その人にも興味があるしそういう人材を選ぶ責任が主催者にはあると思う。
京都コレオグラフィーアワードに関してもトヨタに寄せてるというか審査員も似ている。賞も沢山あるっていうのが新しいことが起こるって言う感じはしない。
まず優勝でいいじゃんって思う。そこから順位を発表するなり何なり。もちろん出る方からしたらありがたいんだけど、見てる方からしたら競争してるのが
まず優勝でいいじゃんって思う。そこから順位を発表するなり何なり。もちろん出る方からしたらありがたいんだけど、見てる方からしたら競争してるのが
面白いわけだから、そのハラハラは薄くなるんだろうな。そこに入れなきゃ有名になれないって言う感覚が1番の問題なんだと思うんだけど。有名ってなんだろう。
それだけチャンスがコンテンポラリーダンスに関しては昔も今も少ないと思う。若いアーティストがそこに来にくい状態だし、まずこういうものだって言うのに気づいてもらえない。ワンマンやって人が入るようになるのはコンペじゃないし、まずその人が表現したいことがちゃんと伝わるようにやるしかないんだけどな。
難しいけど。