2021年10月31日

ソロ終わり

今日は東京ビエンナーレで延期したものの本番でした。来てくれた方々、スタッフの皆様ありがとうございました。
映像から歌物満載の気持ち悪い感じだったらあれだけど、一つ一つ違う気持ちで作りました。

今日は屋内になってしまったけど、明かりのバリエーションがない分踊りながら踊りを見ることが出来て、ああこうやって踊っているのだなと思いだからやれました。見てくれた人が暖かく、自分を知って来てくれてる人が多いからだけど、なんか一緒に踊っていたような気持ちにもなりました。

またやりたくなったらやりますね。

またいつか、多謝ということで。


posted by ゴンザレスチバリ at 21:16| 日記

2021年10月20日

1020

食べ物もお酒も自分の体調やシチュエーションにより味が変わるので、自分はあてにならない。

ここのところ、何十年も前の穴があったら入りたい言動や嘘や行動や調子こきを思い出しては恥ずかしい。悔いはないけど、今思うとクソみたいな出来事が沢山ある。それらは成長で片付けるには無理があります。

練習煮詰まるとYouTubeで人のレッスンの振り付けとかをスタジオチャンネルで見るけれど、
そこには昔踊ったことある人も居たりして、同い年とかだと特別な気持ちになる。
またいつかお酒でも飲みたい。

久しぶりに本でも読もうかと、小山田浩子の新しいのがありそれを読む。
posted by ゴンザレスチバリ at 23:11| 日記

2021年10月17日

よるるるるる

また1つ歳をとってしまって、ぐったりしているけどしっかりやっていかなきゃなと思う。

メリットデメリットよりも人を大事にすることが最終的に自分に返ってくるし、体感する。目先のことでワッーとなってもいいことが余りない。

自分がダサいと思うことをやりたくないなんてきっときれい事なんだけど、それでもやりたいことが例えばない中でも、これはやりたくないっていうことがあるなら本来やるべきではないし、そういう現場っていうのは人を大事にしてないことが多くて。いくら良いお金をもらってもクソみたいに使われたらもうやめたくなるし若い子たちには特に自分を大事にしてもらいたいなって言う気持ちです。どうでもいいし、正解なんてない。

作る時にダンスをダンスだけで比べるというより、小説とか映画とか音楽とか様々なものと比べる。もちろんそれは自分がいいなと思ったものでそのレベルに達しているかどうかっていうことが物差しになっていて、でもダンスでそれができてるかって言うと本当はよくわからなくて。そこがわかっていたらきっともっと明確に表現につながるんだけど、そのもどかしい曖昧な部分が良さとしてあるのがダンスな気がする。過去の話。

長くやっていると、自分がこれまで関わった人たちが名が知れていったりするものなのだけど、人から聞いたり記事的なものを見たり目に触れた時に事実と違うことがあって若干悲しい気持ちになる。もっと人に対して無頓着になれたら楽だけど、いちいち気にしていたらダンスとか表現なんて教えていられない。全て過去の話。ただ自分を大きく見せたりする必要なんてないというか、それ自体が無意味な気がする。

自分がクソみたいな人間だってことわかっていたり、劣等感や弱い部分を表現に繋げたりした方が面白い、って思っている間に自分のことでしかない。
posted by ゴンザレスチバリ at 01:45| 日記