100年後は確実に生きていないし、10年後に生きているかもわからない。それでも何十年も何百年も先のことを考えて生きている人がいて、後世にちゃんと残そうと言う人がいてすごいと単純に思う。震災なんかもとてつもなく古い文献とか残っているし。ちょっとずれるけど、死ぬ気になれば何でもできるって言うけど、自分は全然できない。死ぬ気と言うのがわからない。むしろ良いものを見ると「俺は一体何をやってるんだ早く何かやらなければ」とは思うのだけど、ただみんな死なないでほしい。
柿の種って1パック開けるとものすごい勢いで食べてしまう。せっかちだからかちょこちょこ食べていられない。もちろん我慢すればちょこちょこ食べれるんだけど、我慢する意味もわからないし。だからすぐになくなってしまう、さみしい。つまみにならない。よく言えばうますぎると言うことだ(梅味)。
レモンサワーと言う曲を書いて先ほどSoundCloudにあげたのだけど別に本当に意味がなくて、ただ書いていた時にレモンサワーを飲んでただけで。1月から地味にいろいろ書いていて聴き直したらよかったので、少し直して簡易的にあげた。作品と呼べるかわからないけど、作品を残したい気持ちはなくは無い。でもなんか自分が執着がないというか。
本当にこの年齢になって何言ってんだって思うんだけど昔から変わらず心を閉ざしてしまう瞬間っていうのがあって、1回閉じるとこじ開けるのがめちゃくちゃ難しい。自分でもなかなか開けることができない。明るいとか暗いとかそういうことじゃなくて、もしかしたら人より疲弊してしまう度合いが高いのかもしれないけど、人のことなどわからないし。推測では高いと思うんだけど。人のことをわかったようにへらへら言うのは嫌だけど、自分もへらへら言っている瞬間もあるかもしれない。
かもしれないって生きるくらいなら、余計な心配するのをやめたらいいんだ。
posted by ゴンザレスチバリ at 00:26|
日記